愛希れいか は何者か

 

ただのダンサーだと思っていた。

キレッキレのダンス、すらりと伸びた手足、驚くべき小顔、どこで踊っていても目がいくダンサー。ただそれだけ。

 

『スカーレット・ピンパーネル』のルイ・シャルルで初めて愛希れいかというタカラジェンヌを認識した。

目が丸く眉間が低いから少年役は確かに向いていて、高い声で歌う姿にも何の違和感もない。

今はもうルイ・シャルルは娘役がするものという認識になっているから、男役のルイ・シャルルには違和感があるかもしれないけれど、当時はよくわからなかったし。

 

気付けば彼女はヒロインになっていた。

私が初めて彼女の「ヒロイン」を見たのは『アリスの恋人』。

嫌いだった。

周りの娘役と比べるとどうしても目立つ雑な所作、「娘役なんだ」と意識しすぎてのことか耳に障る声、下手くそな化粧、小柄なみりおと並ぶ為であろうペタンコの靴。

『Deux Princesses』でも書かれていたけど、女声が致命的に出ていなくて、なぜ娘役に転換したばかりの彼女が抜擢され、ヒロインを務めているのか、理解できなかった。

当時の月組には可愛い子がたくさんいたし。

 

「ヒロイン」になった彼女は次に「トップ娘役」になった。

ロミオとジュリエット』。

それまでのジュリエットが上手かった訳ではないから別にガッカリもしないけど、もっと上手い人がジュリエットを演じることも可能なんじゃないだろうか。そして彼女の化粧はどうにかならないのだろうか。

準トップ制度が好きではなかったということもあって、イマイチな思い出が残っている。

 

その後ロザリーを見て、私は愛希れいかが演じるサリーに出会った。

下町育ちのがさつな女の子は、日に日に紳士へと生まれ変わる大好きな男の子の隣にいるために、自らも淑女へと生まれ変わる。

まさおが東大阪感を押し出してくる中で、彼女は品を失わないがさつな女の子で存在し続けた。女の子として社会的人間として苦悩するサリーを歌で表現した。そしてラストシーン、完璧な淑女として舞台に立っていた。

 

びっくりした。あまりの上手さに。

あんなに芝居が出来るなんて知らなかった。あんなに歌えるなんて知らなかった。

ついでに言えば、まさおのアドリブに翻弄される、素の彼女自身の愛らしさも知らなかった。

 

歌唱については一体どれほど練習したのだろう。元々の歌唱力はあったのかもしれないけれど、女性らしい伸びやかな高音から感じられたのは男前な根性だった。

 

それ以来、私は彼女が大好きになった。

彼女を見るためだけに、チケット代を払う価値があると思った。

 

いつ観ても彼女の舞台には「傲り」がないと思う。

いつだって真摯だと思う。

彼女という人間の本質を私は知らないから、素の彼女が傲らず真摯な人間なのかはわからない。

ファンはそこまで気にするものなのかもしれないけれど、私はそんなことはどうでもいい。

私が見て聞いて感じて心を動かされるのは、舞台上の彼女。夢を見せてくれる彼女。それだけで充分だ。

 

その後も彼女の舞台は定期的に観た。彼女が舞台上に現れると自然と見つめている自分がいた。

『1789』を観た時、「あぁ、きっともうすぐ辞めてしまう」と思った。

円熟期を迎えているのは明らかで、非のつけどころがなかった。

歌や芝居はもちろんだけれど、もって生まれたスタイルを活かした衣装の着こなし、鬘やアクセサリーのセンス(なぜ私服のセンスはイマイチなのか、ずっと疑問…)、本当に素晴らしかった。

 

「ヒロイン」から「トップ娘役」になった彼女は、たまきち時代になってから「主役」になりかけてしまっている気がしていた。

劇団が彼女に頼りきった作品選びをしているように見えて、捉え方によってはアンチを生むような気がしていた。

『All for One』のルイ14世が顕著な例だ。

男役でありながら声を高く作り歌っていたルイ・シャルルが、舞台の真ん中で娘役でありながら声を太くしてルイ14世として存在している。ファンにとっては彼女の軌跡を感じられる面白さもあったし、演じ分けも見事だったけれど、彼女は真ん中が似合う人、真ん中に立つのを見てみたい人になってしまった。

たまきちが力不足な訳では決してないのに、これでは彼に気の毒だ。

 

きっと今が良いタイミングなのだろう。

エリザベートという、宝塚の舞台で娘役が真ん中に立つこれ以上ない作品をもって、強く気高く最高に輝き、羽ばたいていく彼女を見送りたいと思う。

 

その時、ただのダンサーだと思っていた彼女はどう見えるのだろう。

ただのダンサーじゃない、ただの歌手じゃない、ただの役者じゃない、何者に見えるのだろう。